今回は、お空の上での約束ごとの中の、「神さまを信じることについて」のお話です。
stand.fmで配信しています。こちらから聴けます。
その前にちょっと神社のお話をさせて頂きます。
私はよく神社にお参りするのですが、先日は東京の多摩川浅間神社にお参りしてきました。
「こどもはママのちっちゃな神さま」の長南華香先生が講座をされていて、それに今私も参加しているので、華香先生と受講生の方と神社にお参りしてきました。華香先生が私のブログを読んでくださっているみたいで、とっても嬉しかったです♪
多摩川浅間神社の御祭神、祀られている神さまは木花咲耶姫という神さまです。木花咲耶姫は富士山に祀られている神さまで、富士吉田に北口本宮冨士浅間神社という神社があるのですが、そこに一昨年お参りしたことがありました。
その神社へ向かう電車の中から、おっきい龍神雲が見えたのです。
その時のブログはこちら
龍神雲というのは、龍の形をした雲なのですが、うろこまでハッキリ見えることあります。
電車に乗っていて富士山が近づいてきて、富士山がきれいに見えたと同時に龍神雲が私の横にあらわれました。
みんな富士山に気を取られているんですが、私はその龍神雲に釘付けになって、雲の写真ばっかり撮っていました。
その時の写真をいつもお守りにして、手帳に入れて持ち歩いています。
木花咲耶姫は、子授けや子育ての神さまともいわれています。私も子育てに関する活動をしているので、守って頂いているのかなとご縁を感じています。
私の場合は龍神雲を、ご縁のある神社に参拝する前後に見ることがあります。
神さまが「いらっしゃい」「来てくれてありがとう」とサインを送ってくれているのかもしれません。

胎内記憶の話にもどりまして、息子は「ママに神さまの愛を伝えるためにうまれてきたよ」と私に話してくれていました。
神さまの愛って、一体何なんだろうと私はずっと考えてきましたが
神さまの愛とは、無条件の愛。自分も他人もそのままでいいんだ、と思える感覚。
ふり返ってみると、私は小さな頃からの親との関係や傷ついた体験の中で、「そのままの自分でいていい」という感覚がスッポリ抜けてしまっていたんだと思います。
魂的にみると、それは神さまの手を離れて、はぐれてしまった状態です。
神さまとはぐれてしまっていると、人を信じられなかったり自分を信じられなかったり、幸せに生きることが難しくなります。
そこをなんとか繋ぎとめてくれようと、息子がお空の上や神さまの記憶を持ったまま来てくれたのだと思います。
子どもって無条件の愛を親に伝えに来てくれている存在なんですよね。
理想どおりにいかないことが多いのも、「ママ、そのままでいいんだよ!」って伝えてくれていることが多いのです。
親はなんとか自分の理想どおりに子どもを型にはめようとしてしまうけれど、そんな時ほど子どもは反抗したり、時に病気になって、大切なメッセージを親に伝えてくれます。
「ジャッジしたり、変えようとしないで、みんな、そのままでいいんだって思ってごらん。」神さまが子どもを通して伝えてくれているのです。
胎内記憶があってもなくても、子どもは親に神さまの愛を教えに来てくれている存在だと私は思っています。
息子が教えてくれた「これを守ると天国に行ける」というお話。神さまについても色々教えてくれました。
・神さまをずっと信じ続けること
・神さまを大事にすること
・神社をなくさないこと
・神社の木は切らないこと
・神さまに関わる仕事をしている人を大切にすること
(たぶん、神主さんとか神職の方のことだと思います)
・神さまを笑顔にすること
(お参りすると喜んでくれるそうです。神社や寺、教会どれでもOKだよ、と息子は言っていました。)
どの宗教を信じてもいいよ、神さまを信じていることが一番大切だからと息子は話してくれました。お賽銭も別になくていいよーとも(^_^;)
宗教の対立によって戦争が起きてくることもありますが、胎内記憶のお話はどの宗教を信じてもいい、世界はひとつということを伝えてくれていると思います。
飯田史彦先生の「生きがいの創造」という本の中でも、胎内記憶や生まれ変わりの話は、異なる教えの宗教を否定するものではなくて、仏教的な因果応報やキリスト教の愛をミックスしたようなところがあると書かれていました。
神さまを信じることは、人が生きていく上で根っこになるようなものだと私は思います。