おむすびを握ることは自分と相手の中の神さまを信じること

日々のできごと

先日、6月に田植えした苗が実ったので、稲刈りをしてきました!
stand.fmでのお話はこちらから

いとよしさんという、暦にあわせた暮らしを提案するコミュニティを主催されている方が、田植えから収穫まで体験できる企画を開催されていてそれに私も今参加しています。

いとよしさんホームページ

稲刈りは前にも、体験したことがあったのですが、今年は苗を植えるところからチャレンジしたいと思っていました。

稲刈りしながら、「6月に植えた苗がもう、こんなに実ったんだ」と思うと感慨深かったです^_^

そこから、干して、脱穀と精米して、食べられるお米になるのですが

11月23日の新嘗祭という収穫を祝うお祭りの日に、その収穫したお米でおむすびをつくっていただくという会があってそれを楽しみにしています。

おむすびの握り方を教えてくださるのは、tetotetoさんという「おむすびの会」を開催されているお2人です。

tetotetoさんは、佐藤初女さんにおむすびの握り方を直接教わった方なのですが、

初女さんは「森のイスキア」という場所で、心に苦しみを抱えた人の話を聴いたり、おむすびと心のこもった料理をふるまっていた方です。

「おむすびの祈り」という初女さんが書かれた本があるので、心に残った言葉をいくつか紹介します。

私は、初女さんのことを亡くなってから知ったのですが、本やご活動を知ることで「おむすびを握ることって、自分の中の、相手の中の神様を信じること」なんだと感じるようになりました。

息子も、人の魂は神様の身体から光をつかっておむすびを握るように作っていると話していました。

※「おむすびの祈り」佐藤初女 PHP研究所より引用させて頂いています。

「おむすびを握るということはそれを通して握る人の心を伝える」ということ。

「人はひとりでは生きられません。誰かと一緒なら生きられます。その誰かというのは、実はひとりひとりの中に宿る神様なんです。

神様は私たちの目には見えませんし、声も聞こえないのですが、生身の人間、肉体を通して、私たちに働きかけてくださいます。

そのようにして神様から招かれている私たちが、お互いの関わりによって癒やされ、成長していくこと、それが私たちの生涯にかけられた使命だと思うのです。」

「森のイスキア」を尋ねてくる人を初女さんは誰も拒まないで招き入れていらっしゃったのですが、そのことが以下のように書かれていました。

「私たちひとりひとりの中には神様が宿っています。ですから、どんな人と会う場合でも、その人の中にいる神様との出会いを意識しています。

夜中に玄関のチャイムが鳴ると、『誰だろう?』と思って、身支度をして玄関に立ちます。開けていいのか、悪いのか、すごく葛藤があります。

ですが、私が『怖い』と思っても。もし私の中に神様がいらっしゃるのなら、きっと戸を開けられるでしょう。そう思って。私は鍵を開けるのです。」

「私は自分が胸の病で長い間苦しんできましたので、そのような心に苦しみを抱えた人の気持ちがわかるのかもしれません。そのことを私は、かけがいのない恵みだと感じています。」

「辛いこと、腹立たしいことがあるとき、私はまず自分のそういった思いを強く感じるようにしています。

感じることを中途半端にはしません。そうすると、煮えくり返るほどの怒りがこみあげてくることもあります。

また、心の中であまりにも強い葛藤を感じて、疲れ果ててしまうこともあります。苦しんで、苦しんで、もうこれ以上苦しむことができないというところまでいくと、後はもう自分ではどうにもできなくなって、神さまにすべてお任せしようという境地になります。すると、必ずそこから這い上がれる道が見えてきます。」

今回は「おむすびの祈り」の文章を紹介させていただきました。おむすびを握るということには、深くてあたたかい意味がこめられているのですね(*^^*)









タイトルとURLをコピーしました